中日ドラゴンズ研究室

何かしら頑張ろう

伝説の試合 10.8決戦 (2)

10.8決戦の1回目の記事から3日経ってしまったが、今回は10.8決戦で起こった出来事について紹介する。前回の記事でも触れたが、あの日のナゴヤ球場は、異様な空気に包まれたかのような空間だった。この証拠に、語り継がれる出来事が度々重なった。

 

ここで、改めてスコアを振り返る。

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
巨人 0 2 1 2 1 0 0 0 0 6 12 3
中日 0 2 0 0 0 1 0 0 0 3 11 0

本塁打:落合、村田、コトー、松井
巨人:槙原、斎藤○、桑田S
中日: 今中●、山田、佐藤、野中

 

松井秀喜送りバント

同点で迎えた3回の巨人の攻撃、松井秀喜送りバントでチャンスを広げ、落合博満が勝ち越しの適時打を放った。勝ったチームが優勝するような試合においては、1点が勝敗を大きく左右する。巨人は堅く1点を取るために、松井が送って落合に繋いだ。日米通算500本塁打を超えるゴジラ松井が、プロ生活で犠打を記録したのは、10.8決戦を含め3回だけ。勝ち越しを大きくアシストする貴重な送りバントとなった。

 

立浪和義 気迫のヘッド

3点差で8回を迎え、巨人は3番手桑田真澄を投入。この回の中日の先頭は立浪だった。桑田がPL学園3年生のときに、立浪が同校1年生。この2人が大切な試合で対決した。ここで出塁すれば、中軸に回り逆転も十分にある場面。打球は三塁側への高いバウンドとなり、立浪は一塁ベースに頭から突っ込んだ。結果は内野安打となったが、立浪は左肩を脱臼し、代走鳥越裕介と交代した。結局のところ、このイニングは無得点だった。

 

川相昌弘 幻のホームラン

9回の巨人の攻撃、先頭の川相昌弘がセンター後方へ大飛球を放った。打球はフェンスの上部に当たって、バックスクリーンに跳ね返り、フィールドに戻ってきた。ルール上は本塁打となるが、審判のジャッジはインプレー。川相は3塁到達。長嶋監督が抗議するが、判定は覆らず三塁打となった。ちなみに、ナゴヤ球場のスコアボードは当時ライト側に設置されており、センター後方のフェンスの奥には、壁(?)があった。

 

高木監督 辞任取り消し

1994年のシーズン終盤は、中日高木監督が辞任を公表した中で日程が進んでいた。つまり、10.8決戦で負ければ高木監督の最後の試合となっていた。槙原-斎藤-桑田の先発三本柱を投入した巨人とは違い、中日ベンチは普段の継投で挑んだ。10月6日に完投した山本昌、この年に最優秀防御率をとった郭源治も、ともに投げる準備はしていたという。それでも、「普段通りにやれば勝てる」という監督のこだわりがあったのだろう。どこか高木監督らしさを感じる一面かもしれない。試合から数日、高木監督が翌95年も指揮を執ることが決まった。球団としては、終盤の快進撃から翌年の優勝を期待したのであろう。

 

10.8決戦で起こったドラマはまだまだある。10.8決戦を迎えるまでの展開も劇的なものがあった。ここで挙げることができなかったことは、機会があれば(来年のこの時期にでも)紹介したい。